昭和46年11月10日 月例祭



 今日、きせずしてよその教会の親戚から二通の手紙を頂きました。一つは須崎の須崎教会の在籍教師の方から速達でお願いの手紙が、私は全然知らないです。けれども学院におった時分に合楽のごひれいのことを聞かせてもろうて、教会長先生がもう今日明日かと言う様なご重態であった。これは合楽の親先生にお取次ぎを頂いて、助かるのなら助けて頂こう。御本部に教会からお願いに、出るとか電報へ行くと言う事は聞いてますけれども、全然関係のない教会からですね。
 しかも、その教会長がもう今日か明日かは分からないというほどしの状態であるから、どうぞお取次ぎをお願いしますというて、手紙が速達でまいりました。もう一つは南八幡教会の教会長先生から手紙がきております。先日の長男の、まぁ友人関係の先生ですから、ご夫婦で披露宴に招待を申し上げました。その時にいわば、あのような晴れがましい席に出席をさせて頂いたと言う事が有り難いという意味ではなくて。
 あの御神徳満ち溢れんばかりのもうそれこそ神様の働きといわなければおられないほどしの式じゃないですよ、披露宴ですよ。それを例えば、心ある者はそのようには分かるわけなんです。何と素晴らしい披露宴であろうかと、ほんとに神徳の満ち溢れておられなければ、こう言う事は出来る事じゃないと、夫婦の者が、もう感動してね、その感動を何枚かの便箋に綴って、お礼の手紙がきております。
 そう言う様な事がですね、私はどの様な事であろうかと。お互い日々ここで信心の稽古をさせて頂いております者としてですね、どこをどういうふうに折角ここに信心のけいこをさせて頂くのでございますから、例えばそれに接しただけで、それに触れただけで、いや、噂を聞いただけで、それがしかも、お道の教会、教師の先生がです、そのお取次ぎを願うてこられると言う様な事がです、いやそういう例えば、ならお広前に皆さんはおかげを頂いておるのである。
 ですから、そこにその何かがあるのである。その何かをお互いが頂かせて頂かなければならんというか、それを頂くことのためにお互いが信心の稽古をさせて頂くと言う事にならないと、私は折角合楽に縁を頂いておってもなんにもならんと思うのです。先程今日は幹三郎が当番でしたから、お話をさせて頂いておりました。私はここから聞かせてもらいよって、まぁ、ほんとに十七かそこらのいうなら子供であり、青年がですもう、ようも信心をあそこまで分かったじゃない。
 分かろうと勤めておるかという精進ぶりにです、私はまぁ日々感心ですけれども。話しを聞いても、ほんとに飾り気のない。自分の実感をそのままに皆さんに、時間は十分か、そのぐらいは十分だったでしょうけれども、聞いて頂いておるもう始めから最後までです。あの人のいわば、信心を語っておる。しかもその信心が生きておる、一歩一歩でも神様の心にかなう方へ進みつつあると言う事がね、素晴らしい。そしていうております、折角お互い信心をさせて頂くのでございますからと言うとる。
 私もあそこに座らせて頂くようになってです、始めの間は辛かったし、お手代わりの先生がね、十分間でも遅くなられると、もう腹が立ってしようがなかった。それがこの頃はね、有り難いとか楽しいとかまではいきませんけれども、それが全然心にかからなくなったというております。これが素晴らしいですね。有り難くなりましたとか、という意味じゃなくて、それが心にかからなくなったと言う事なんですよ。それが有り難いものに成長していかないはずはないです。
 ここへ座らせて頂きますと、一番に三代金光様のお言葉である、「信心辛抱」があの御結界に貼ってある。信心する者は「信心には辛抱する事が一番大切でございます」という金光様のお言葉をです、いわゆる、本気で身をもって行じようと精進しておると言う事なんです。いや、話を聞かせて頂いてです、そうだろうと私は思います。あの人の信心ぶりからそれはまぁ、海のものとも山のものともと分かりませんけれども。
 ここでその話を聞かせて頂いて、お礼を申させて頂いたら、思春期を過ぎてからが楽しみと頂きました。やっぱいろいろ節があるんですよね、いろんなことで。ほんとにこの氏子はと、神様が育っていく姿を楽しんで下さるような育ち方を頂きたいもんですね。いわゆる、ガツガツとした信心ではなしに、ほんとにそれは分かっておるか分かっていないかは分からんけれども、いつか彼が話しておりましたように何とはなしにと、言っております。何となしに有り難うなって行くと言う事。
 そういう例えばです、信心のけいこをさせて頂くと言う事がどう言う所に焦点がおかれ、どういうところに自分の信心を進めていき、又、自分の信心が伸びていっておるんだな、おかげを受けておるんだなと言う事が分かるようなおかげを頂くためには、やはり一つの焦点がしっかりしとらなければいけない。腹が立ちよったのが腹が立たんようになり、何ともならんようになり、いやむしろ、それが有り難うなり、そのことにお礼が申し上げるようになり、というようにです。
 やはり信心の心の状態が豊かに、磨きぬかれていくところに、そういう過程というものがる。それが楽しみなんです、信心には。十年前先でも今日でも、おかげを受けとっても、それがそう言う様に、自分の心が進展していかないとするなら、それは一つ本気で、折角、いわば、信心をさせて頂くのでございますから、ここんところ本気で、けいこさせて頂こうじゃないですかという意味のことを、幹三郎は言っております。折角信心をさせて頂くのですから。
 先日から丁度ここの結婚式の夜、久留米の石井さんのところのお母さんがお国替えになりました。それで翌朝は私を、洗礼の式がございますので、弘道先生と二人で参りました。洗礼が終わって、すぐ披露宴でございましたここ。ほんとに一分一厘間違いのない神様の働きの中にです、もうそれこそ、きってついだようにその働きが私の上にも石井さんの上にも現れておる。
 一家中がおかげを頂いて信心頂いておりますから、その例えば、頂き方というのが例えば、長男ではありませんけれども、いわゆる、お母さんを見ておられた喜代司さんが私を迎えにみえて、その機会に自動車の中で話されます。親先生ほんとに有り難いとこう言う。母親が亡くなったことがね、それが亡くなったことが嬉しいそういうもんじゃんなくてですね、このような間違いのない働きの中にです、お国替えを頂いたあの、姿を拝ませて頂いてそれが有り難いとこう言う。
 病気が腎臓癌でした。ですらか、医者がもうたいへん亡くなる時には苦しむ病気だと言われとったのが、実に大往生のおかげを頂いて、安らかに。それこそお礼をいうのにお礼を言わせて頂いて、亡くなった。その翌日が告別式でございますから、私がまぁ、先生と一緒に参りました、式が終わって皆さんに私は聞いて頂いたんですけれども、喜代司さんが言われる家の主人、ああ、母はほんとに苦労性でしたと。もう先の先までも、人間心を使うて、いわば、ようゆうと行き届くわけです。
 確かにそんな方でしたですね。もう実に行き届いた方でした。もう私共がもう参りますと、もうじっとしちゃおられんというどうしても。もうそれこそ、もう一生懸命に真心の限りを形に現して、その表現される方でした。若くてご主人を亡くされた。そして、なにもかにもが水に流され、なにもかにも火に焼かれ、それそこ目の前が真っ黒になるようなことを母の生涯の上に何回となしに起きてきた。
 これは確か、誠之助さんの話したでしょう。確かに大水で流れてしもうた、戦災でそれそこ、やき払われてしもうた、若くてまだ沢山の子供がおるのに、ご主人が亡くなられた。まぁ、それから先でもどのぐらいそれそこの、親のなら普通でいうなら生身に鉋をかけられるような思いをする様な事ありましたけれども、家の母ばっかりはもう金光様いってんばりで絶対に迷いませんでした事はもうこれは驚きでございますと言うております。たいがいなものがね、ちょっとしたらもう参らん。
 ちょっとしたらもういくらお願したっちゃ同じこと。例えばならね、戦時中に皆さんが言ったように、神も仏もあるものかとそういう時代にあってもです、金光様だけははずさなかったと。これだけは残された子供達の上に一人一人、信心を頂かせて頂いてです、信心が受け継がれて、継承されて、そしてその信心が、皆さんがご承知のような程度ではありますけれども、成長しておる辿っておるのだと言う事です。
 そして例えばなら現在、まぁ、喜代司さんと誠之助さんが久留米であのような日章ゴムというゴム関係の仕事をされるまでにも、もうそれこそいうなら、無一物の中からあれだけのものを作り上げていこうというなら、これはもう大成功。けれどもそれが神様のおかげだと子供達が実感しておることです、そしていうならば、おかげを頂くこつをです、もう喜代司さん何かは、とりわけきっちりこうつかんでおる。
 これはほんなこつば言うなら、そのままです。皆さん方が知っておる通りですよ。だからそれが全部よいと言う事じゃありません。もう実にそのいうなら、今日の御理解でいうと大きな信心です。教会にはそげん参らんでん、ちゃんとこつだけちゃっと頂いとくと言う様な所、それが是に引っ掛らんと大きい信心です。私共まずそれと反対な事が例えば、本当にもう一分一厘違うても、それこそ心に掛ってしようがない。
 だからそれとこれとが、一つになるような信心になったら、それは私は今日一日の事で聞いて頂きたいと思うんですけれどもね。確かに喜代司さんの生き方、とにかく腹立てちゃ馬鹿らしかとこういうどころ。だからもう絶対腹立てんこの男は。もう馬鹿らしかち、もうちゃん算盤にぎっちゃる。馬鹿らしかいやむしろ、ここば抜けりゃおかげを頂く事をちゃんと知っておるです。ただのそのへんの素晴らしさ驚きますね。
 合楽の先生の信心のいうなら、感所というものをパッと握っておる。どちらかというと教学派の方ですから中々勉強してます。ですからそこんにきの道理を学問の上でも知ってるわけです、例えば、お葬式なんかでも金は掛ける事はいらんとこう。御霊がそげなことで喜ばん絶対そうでした、本当にちょうど私が行った時に、葬式屋が来てました。だから喜代司さんはもう金はかけることはいらん。もうほんとに教祖様のごたる。教祖様が私が亡くなったら、コモに巻いて山に捨てても、川になげてもよいと仰る。
 それでよいと教祖様は。そげんなんのため、そげん沢山のお金かけてするかと。そしたら、他の例えば、娘さん遠縁についたのがおります。やかましかつが。それでも今度は、そげなこつがあるもんか。親のいう葬式にちこう言う訳なんです。そこへちょうど私が行ったもんじゃけん、ほんならもう親先生にお伺いして頂こうとこう。それで私はどっちにひいきする訳にいかんけん、そんならまん中のまんなかばとったら、どうなち私申しました。一級、二級、三級ちある。
 その一級だけに、又、一級、二級、三級が分かれておるわけです、だから私も、あれ金額でみるならば私も人間心使うとばってんね。真中の真中ですたい。それがやっぱ十万円、真中の真中で、けれどもとにかく、ここのまぁその、まぁ家柄、まぁしかとうもなか家ですから、しかたもなか家に、吊り合うたお葬式でないとおかしい。だからそれでよかろかち私言うたら、いやそりゃもうこれでちょうどよかでしょうとこう言う。まぁ喜代司さんにとっては、ちった大きいすぎたろうけれども。
 けれども私は明くる日その告別式に参らせて頂いて、ほんとに相応しい、それはみごとな祭壇であり、それから又お供えであり、献花であり。もうほんとに思いもかけないところから沢山の花を頂いた。やはり、これはお母さんのお徳だなと私思った。私神様にそのことをお届けさせて頂いたら、一生のことをどう頂くかというと、琴の糸をですね、大体樂人さんでございましたから、樂人さんとしての神様取り扱いをしておられる。先生と親戚の相中だと言われております、樂人ね。
 ですから、例えば、お葬式にでも大祓いが上がるんです、ところが、ここのへんところをね、その御霊様がですね、こういう沢山な人がお参りをして信心の薄い者ない者が参っておるから、大祓いに長いお経上げてもらうと、皆がこりをつむと。人間心をもうつかいよる、御霊様ながらにつかいよる。そして早うしまえりゃよかがと言った様なものがこっち返ってくると却って困るから天津祝詞と一巻でもう結構でございますと言う様な事が知らせられるほどしの御霊なんです。驚きました。
 だから私は、行きがけに先生方に今日は大祓いバイというとったけども、途中から止めさせて頂いてですね。天津祝詞と祖先賛詞でおかげで、そういう例えば、ならおかげを受けた人達どう言う信心をしたかというとです、どのような場合でも迷わなかったと。一心不乱でいわゆる、そうい時であればある程に、いよいよ神様に向こうていった一生涯であったということなんです。しかも、やはり、イライラもそれ腹も立つ、情けない悲しい思いをすることもあるけれども、そういう都度都度に日々をです。
 丁度あの琴の調子を合わせるように親糸というのが御教えであるなら、親糸が親先生であるなら、こげん時親先生ならどげん思われるじゃろうかどげんされるじゃろうかと思うて、それに調子合わせることに一生懸命それが一日がかり二日がかりなったことがあるかもしれませんね。腹が立ったと言う様な事でも、そういう例えば、調子を合わせ続けた一生であったと言う事なんです。
 だから最後にそういう良い音色が出るはずなんです、楽器でもひきよりますとすぐ調子がくるうてきますよ。有り難いこれがいつまでも持ち続けられると思うこともありますけれども、すぐこれが乱調子になる。今腹が立った、もやもやした情けないという、けれどもよくよく日頃の御教えの、いわゆる、親糸に合わせてみると、これは間違いが悪かったじゃなかった、こちらであったとか。
 これは反対にお礼を申し上げることであったとしております。いや自分の胸一つではばからん時には、合楽に出てきた、お取り次ぎを頂いた、御理解を頂くと、親先生そうでしたというて帰れた。しかもそれがね、一分の間違いもなく続けぬかれたと言う事なんです。私は石井ひろさんの御霊様の素晴らしいのはそこだったと思った、人間的にそれは、いや(?)ところがありましょう。
 けれどもね、もうそれこそ普通に申しますと、石に噛り付いてでもこの子達の手足をのばさしてもらわなきゃ亡き主人にに変わってね、主人の代りも母親の代りもさせて頂いての何十年間であった。それは人間心も使わなきゃおられまい。イライラもしなければおられまいという中にあってです、おかげを頂いて、そこにどの様な場合であっても教えを元にして、その教えに調子を合わせていこうという精進をさせて頂いたと言う事がですね。私はその事お礼を申させて貰いよったらです、あのとうきび頂いた。
 あの開け頭が真っ黒なって、中から実がいっぱいはちきれるように入ってるところを頂いた、いわゆる、お互いに人間一生の寿命を終わらせて頂く。これはそれこそあの世にいくにひとふんばリしなければならない最後の苦労なんです。最後の修行なんだ。その最後の修行が真っ黒なった時にはです、すでに実がいっぱい入っておった、誠之助も信心を頂くようになった、喜代司達夫婦なおさらのこと。
 今までとやこう言うておった、例えば兄義姉かあおるさんに対して、母親が残したかおるさんに、かおるさんにと、いうて息が切れた、かおるさんに大変おせわになった、だから娘がもうそれから先いわんでわかっとるちいうた、あぁかおるさん兄嫁ちゃそんなもんです。姉さんがこすかけんとか、まぁ、気が付かんとかほんとに、母親もやっぱそんな思いの時もあったわけです。
 けれども、いよいよ自分が、長い間嫁に看病してもらって分かったことは、この人はこんなに素晴らしい人じゃったと言う事が分かってです、娘達もそれをいようどいた。娘達が姉さんほんとにご苦労様でしたというてお礼をいうた。そういうものまでも残していったんです。後が素晴らしいことです。残り今弟と弟嫁と一緒に入って来てです。もうほんとに信心。もう私の最近は宗教なしに生きられんというておる、子供亡くしてからこの方という、おかげでです。
 この信心がどこに(?)あったかというとです、やはり母親の信心でございましたとこう言う、母は素晴らしい良いものを残していってくれました。高芝さんがその縁頂いて、金光様を知る様にになった。ならこれは合楽だけでもです、なら野口さんにおいてしかり、綾部さんにおいてしかり。ならあの人の導きによって、又その導きによって例えば、野口さんのところでいうなら、野口さんのところの又、それこそ親戚中の者がこう広がっていった、その信心が。
 そういう例えば、種をまいていった。そういう元をつくっていった。ほんとに母の死というものが素晴らしいと喜代司さんがほんとに信心のない者から聞いたらばかじゃなかろうかというごたるばってん有り難いとこう言うとる、しかもです、そんならこれからこの工場がこの店がどうなるじゃろうかじゃなくて、もういよいよここまでいけば後は繁盛していくばっかりだというな基礎をつくっていった。
 なる程とうきびの実がいっぱい実っておった、自分が親がお国替えさせてもらう時には子供達に信心が残っただけではなくて、いっぱい実が実っておったと言う所にです、石井さんの命があった。よい信心する人があります、ありますけれどもです、それこそ彗星のように現れて、又、彗星のように消えていく人が多い中にです、何十年間という間をです、それを頂き続けて行ったと言う事がね、成る程子供達が、親の御霊にもう悲しいとか何とかただお礼を申し上げる他にはない、そういうおかげを頂いた。
 今日はもうそれこそ、一生の不覚といわなければならないですが、私が今日目が覚めた時もう四時十五分あった。それこそこれもう合楽の命であり、私の命であり、神様が起こしなさらじゃったと言う事は、もう私に見切りをつけて下さったのかと思うた。家族中の者がそれこそ、今日はもうはり、いんのようにちゃんとした。私はそげん、お前はどうして起き切らんじゃったかともね。家内にも例えば、なら今日は当番ちょうど愛子でした、そして私が思う。
 もうそれはです、これだけには、例えば、私は椛目の時代に、これは私じゃない。家内が御神飯を遅れたことがあった。その御神飯を遅くなって、お供えをする時には、あの障子を開ける時にね、あの楽室の椛目の時代。ガタガタガタ手が震うてから開けられんじゃったって家内が申しまして、それでよいと私思うたことがあるんです。そのぐらいに一生懸命なんだ。
 私共もです、もう神様からお暇がでたのであろうかと思うぐらいであった。そしていうなら、今朝の御理解になった、それこそ、死んでお詫びをする他にはないという程しに白真剣でした。何十年間それがちょっと今日で切れた、いうならば、私がこれはもう私の自慢でもあった。これこそ一秒だって、一分間だってきびょうなことはないと言う事が。神様にこうと決めた。それがしかも十五分間もう遅れたと言う事はです、もうどうしたことかと。それこそ血の気の引く思いがした。
 もし詫びらなければならないならば、死んでお詫びをしなければならないと言う様な大変なことだけれど、死んだからというて、花が咲くわけでもなからなければ実が実るわけでもない。良く昔のお芝居なんか小説なんか見ますとね、例えば、お家の大事なものをわっただけでも、もうその申しわけに腹が切って死ぬといったような例がいくらもあるでしょう。けれども、そうしたからというて、そこに自分の言い訳が、まさに腹かき切るなんて、こんなつまらん話はない。
 問題はだから、その死んだ気で次の信心を頂けということになるのです、死んだ気でね励め、勤めよ徳もつく道も開ける、人も助かる。これは私がギリギリの修行の時に頂いた御歌であるけれども、死んでも申し訳しなければならないとうい意味じゃなくて、死んだ気になって、信心を頂こうというのである。そして私はそのことを、例えば死んだ気になって、お詫びをさせて頂いた、そして段々今夜あたりはお礼を申しさせて頂いておることは、私が今まで、もう合楽にいっぺん来てごらんなさい。
 もう四時と、四時に親先生がもう三時半からあそこへ控えられて、ちゃったもうそれが皆さんの自慢話でもあったんです、これこそ一日だって欠かされたことありませんと、皆さんもいえなくなった。私もいえなくなった。と言う事はもうそういう自慢話をせんですむようになったと言う事なんだ。慢心、慢心ほど私神様がおきらいになるものないと。自分の力でばし起きよるごと、神様は思いよんなさったでしょうと。
 で今日だけはそういう慢心の目を、根から取り除かれたような思いがしてです、なら死んだ気でです、その事に精進させて頂く、先程の幹三郎のお話を聞いて下さって、丁度一年前ない命を頂いた。その感動で僕は宗教家になると決心した。もうこれは死んだ気なのである。御結界に奉仕させて頂く者の、喜びと悲哀というならばです、先程成る程幹三郎が言うた様に、ここに座っておる私共ですらですね、いわばほんとにここから一歩も出られんなんて言う事は、悲しい思いをしたことをいくらもあります。
 やはり御結界者の悲哀である。そこんところ乗り切ろうとしておる。それは何がそういうふうに彼を一心発起させてかとね。あの時死んだと思えば、それこそ死んだ気で奉仕をさせて頂いておるというのが、幹三郎のいわば説明するなら、その様な事になるのじゃなでしょうか。ですから折角信心させて頂くならばです、そううい気になって、お互い信心をさせて頂きましょうと言う事になったわけなんですね。
 私共です、例えばそういう信心、例えばね、朝の御祈念にですね、十分遅れば、十五分遅れば平気当たり前の様な事でです。それではとても、とても人は助からんと私は思うです。今日は、例えば全然知りもしない教会から親先生がもう今日、明日のもうその迫った命を何とか合楽の先生にお取次ぎ頂いて助かりたいと言った様な手紙を来るようになった。ここへ来てからその神徳溢れるばかりのそれに触れて、夫婦の先生が感動したと言う様なものがここにあるというのが私しが、私共がそういう一生懸命のものからそういう。
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